Yoshihiro Someya    /

1992年12月25日

5 November 2025

ちょっとスピリチュアルとはあまり関係がない音楽制作者としての私個人のお話です。
1992年頃。ちょうど33年前、私が24才の頃に制作したもので
以前からサイトにアップして置きたかった楽曲等がDATテープに収めていたのですが、
再生デッキの入手困難やテープ劣化などでもう再生が不可能になりつつある状況になっていることに気づき、
慌ててTEACカスタマーソリューションズでダビングを依頼し
無事にDATテープからwavデータへ変換することが出来たのでここで公開しておきたいと思います。
送られてきたデータを元にDAWとUVr5で修正を兼ねたリマスターを制作しました。

まだ通常のいわゆる「曲を書く」という型にはまった形式内で
歌詞やメロディーライン、和声進行など技巧的に神経質になっていた最後の時期のもので、
この頃を境に現代音楽や前衛ジャズの再構築など音楽や作曲に対する概念を大きく変えることになりました。
元々10代からライブパフォーマンスよりも
作曲理論やアート作品のように「創作それ自体」に興味があったので、
独学で研究しMTRで楽器を重ねてアルバム制作のように作成していくという創作スタイルを採っていました。
その為かこの頃から私の芸術活動は主流メディアとは実に縁遠い関係でしたので、
今のようにPCでのDAW利用やyoutube、SNSなども盛んではない時代の中、
作品を制作しても発表する場所がなく身内に聞かせてあとは自己管理というのがほとんどでした。
もう一つの私のHugoサイト "zf2c3qh.com" 内の(repositry) でも
PCでの音楽制作を始めた頃からの音源や以前書いた楽曲などをDAWで復活させたりとアップはしていましたが、
アナログテープで録音していた時代の音源の公開は今回初めてだと思います。
これ以前(10代の頃)の録音されたテープは行方不明になったり、実家で廃棄されてしまっています。
始めた頃はまだカセットテープでのオーバーダビングやTASCAM4trポータルで録音していたんですが、
その後、TASCAMのTSR-8を入手することが出来てそこで録音した音源が今回のものになります。
誤解を招く可能性があるので歌詞の説明を中心に楽曲の紹介を少ししておきます。
以前までは実に個人的、パーソナルな歌詞ばかり書いていたのですが、
今回は本来の私自身が興味のある分野を省みて書き上げた歌詞の内容になっています。
以前までの生楽器類をこの時期からドラムマシーンやシークエンサーへと移行できたのですが、
問題はメインボーカルで自宅でのレコーディングだとかなり限界があって、
更にこの時期持病のクローン病が絶不調で声が曲の終わりまで持たない時もありました。
元々ヴォーカルは自由に曲の雰囲気に合わすというのが私の考え方でもあり、
取り直しをしないときも多々ありましたのでその点ぜひ考慮していただきたい。
1.ミーとシヴァ
ミー(猫)とシヴァ神の霊的な対話を数え言葉のように書いています。
現実的には猫が小さなシヴァ神の置物にただじゃれて遊んでいるだけです。
しかしこの猫はシヴァ神から霊的なインスピレーションを受取っているという歌詞の内容です。
2.ママ、ダレガワルイノ?
「ママ、誰が悪いの?」「ママ、誰を嫌うの?」「ママ、誰が憐れなの?」という
3つの言葉をアレンジしながら繰り返しているだけの歌詞です。
この曲はこのレコーディングでのメインコンセプトとしていたもので、
「一体誰が悪いのか?」という男女問わず人間が実社会で生きていく中で
どこかで必ず遭遇する疑問を「母性、女性性」という根源に対して投げかけるという意図で制作しています。
3.Sally嬢の記憶
「指、ママ、はめて..」と文体をカットアップしたような構成になっている
Sallyという名の女性の妄想劇を書いた歌詞。
(改めて聞き返して見てもう少し丁寧に歌えば良かったかな..と)
4.イジャルの日記
「イジャル」という言葉はマンリー P ホールの「カバラと薔薇十字団」の中に出て来た言葉を使用しています。
「女、雲に隠れ。舌出し愛らしく」という正に「あかんべえ」をしているイメージから歌詞を書き始め、
「左右によろめいて、グレの歌を歌う」で締めくくるという散文的な歌詞です。
5.泥棒月夜譚
母親の写真を肌身離さず持つ酒好きで信者でもある泥棒が、
神父のいない教会に忍び込もうと試みるが
鐘の音と共に目覚め、消えて行くという内容の歌詞です。

当時、3度の分散ベースアレンジは気に入っていたんですが、
元々バランスよくレコーディングが出来なかった作品で
今回UVr5で分離後再ミックスを試みたんですがやはりこれで限界かもしれません。
6.セリフ
「美女と野獣」を念頭に好きなように男女の気持ちや行動を表現した内容の歌詞。

この曲や他のこの時期に使用しているドラミングパターンなんですが、
これは日本の能の囃子方のリズム感覚を意図的に取り入れた結果で
能や仏教のお経などは 1、1、1... のアフターのない一拍子パターンで展開されていくので、
ジャズドラミングに見られるベースリズムをキープしつつ、
囃子方のように曲調に合わせ各アタックで交わして行くというスタイルを取り入れています。
7.うるわしき晩の事
滑稽な風刺寸劇のようなイメージで書いた曲で、
しがなく、臆病者と自身で評価する私(歌詞の主人公)が
桜の咲いた庭で片目と片足の弱い無邪気な魔女と会い、自身の預言を聞くという内容です。
当時この主人公のモデルにしていたのがチェーホフの「小役人の死」でした。

この時期実に簡素でチープな感じの正に芝居じみた、旅芸人のようにその場で即興で演じた劇なんですが
それが妙に予言的で超越しているようなそういうイメージの表現がしたくて、
色々と試行錯誤した作品が幾つかありその一環で書き上げた作品でもあります。

音源の修正の際に新たにストリングスを加えています。
*ここで公開されたオリジナルの音源のライセンス等は、
他の私自身のオリジナル音源同様、すべて染谷喜弘個人にて所有、管理しています。